リマ発8時の朝の飛行機でクスコに着きました。
一時間程度の飛行時間でした。
さすがにアンデス山脈を思わせる機内からの眺めでした。
当日は、非常に珍しい国勢調査の日で、住民は午後3時まで外出禁止令が出ているようでした。
その影響で、店は休みだし、道端も誰も歩いていないという異例な感じでした。
もちろん車も我々のような観光客を乗せた車だけ走っているというものです。
ガイドさんもこのような光景は初めての経験だったそうです。
我々はラッキーだと言っていました。
後ほど案内してもらった時も、石畳の上をゆっくりと歩いてみて周ったのですが、普通は車でひっきり
なしの状況なので、石畳の道の真ん中をゆっくりなど歩けることはないという。
旧市街が全て、世界遺産に指定されているという。
私が泊まったホテル(Novotel)もその中にある。驚くことにというか、さわれないからだからなの
だが、ホテルの玄関に車寄せがないのです。
その当日は全然問題なくゆっくりと荷物を降ろしたり、我々も気兼ねなく乗降車できたのですが、
普段はそうはいかないらしい。
その証拠に翌日は止まって、降りるだけで、すぐに後ろに渋滞ができてしまいました。
ホテルはとても優雅で、中庭があり、フロントが横にあり、テラスになっていたり、喫茶店、
レストランも兼ねているとても雰囲気のよいところでした。
インカ帝国は、あっという間にスペインに滅ぼされてしまいましたが、
ワカロマ文化、カリハマル文化、シカン文化、チムー文化、チャンカイ文化、ナスカ文化、ティワナク
文化などの点在していた文化を飲み込んだ文化です。
インカ帝国は15世紀初頭に樹立しました。
恩田陸氏『失われた文明 インカ』(NHK出版)によると、マチュピチュを築いた第9代インカ皇帝
パチャクティは、それまで食糧を巡って諸勢力との争いが絶えなかったアンデスを、インカ道の整備、
アンデスでの生産力向上、流通の活性、貯蔵庫の拡充という、いわゆる「ロジスティクス」の戦略に
よって統一したようです。
豊かな暮らしを求め、あまたの民族が戦わずしてインカの統治を受け入れた、そうです。
しかし、統治と言っても税の徴収制度のことで、システム化はさせたようですが、都市国家のような
形をとったので、肝心かなめの自決権を認めたために、あまり土台のしっかりした帝国ではなかった
のではないでしょうか。
文化はそれぞれ認めていたという。非常にその当時としては、民主的な寛容な皇帝であったのだと
思う。
詳細は、別途経営論に書くとして、その帝国の都のクスコを写真でご紹介したいと思います。
最後の写真はリマに到着前に、スッチーさんと話をしていて、お土産にくれたスナックの袋です。
さすがに3400mの高地であることが分ります。
空気が薄い。