グローバル化、ボーダレス化

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 ウズベキスタンの都市であり、カラカルパクスタン共和国の首都であるヌクスからムイナクに向かう途中で
 
 何回も遭遇した竜巻である。

 このような竜巻を見て、最初は驚いたがよく起こっていることなので、最後は別に特別なんということ

 なく、また見える、という感じであった。

 これが環境破壊が進んでいるから、起こっているかは、定かではないが、塩害を助長している

 ことは間違いないようだ。




  1989年にベルリンの壁が崩壊し、1991年にソ連大統領のゴルバチョフ氏が辞任し、ソ連も崩壊した。

 これをもって東西冷戦の終結という歴史の大きな一ページとして刻まれている。

 その後は、ご案内のようにアメリカが、一極集中による一大帝国のような振る舞いを行っている。

 一方、社会主義が事実上民主主義に敗れたのをうけて、一気に資本主義に移行し始めた。

 これは、SC(サプライ・チェーン)のパラダイム転換だと言い換えることができる。

 労働者も土地という財産権も、以前とは比べ物にならないくらい安価で手に入ることを意味する。

 言い方は、悪いが、「植民地の正当化」と言える。

 また、言い方を換えれば、アメリカ国内で行っていた、西へ、西へという啓蒙主義による、いわゆるア

 メリカン・ドリームが地球規模での開拓である。

 これが、グローバル化・ボーダレス化と言われる概念のアメリカ主導で行っている本質である。

  これにより、企業はとてつもない安価なSCを築けるようになった。しかし、これは

 世界のグローバル企業にとって千載一隅のように見えるが、コンペティターにとっても同様な

 条件であるので、時間的な優位性のみが勝ちゲームの要因になったのである。

 

   一方、私たち一行は、はアラル海に環境調査に出かけた。

  大阪府立大学の荻野名誉教授の言葉を借りれば、結局先進諸国の経済活動の「世界負産」と

  なった。これは世界の負の縮図と言える。

  企業活動を行う場合の、倫理観とその根である、サプライヤーとの付き合い方が大きく問われる時代

  となってきたのである。

  その場合に、90年代末から起こり始めたIT革命であるネット社会の到来で、グローバル調達と言われ

  る供給体制が、ネット上できわめて安価に行われつつある。

  アウトソーシング華やかりし、状態にある。

  
  元々日本は、トヨタに代表される、カンバン方式たるケイレツ構造で優位性を発揮してきた。

 これもアウトソーシングの代表例だ。

 これにアメリカのGMやフォード、クライスラーのビッグ3は、当初は批判的であったが、

 内製化率の高いこれらの企業も、徐々に外製化率を上げた。アウトソーシングである。

 しかし、その進め方はドラスティックに進めたため、東大の藤本隆宏教授の言う「すりあわせ」

 が必要な自動車産業では、上手く進まず、結局倒産寸前の瀕死状態にある。

  
   つまり、モジュールの部品を集めて、それをアッセンブルするだけの製品では、威力を発揮し、

 日本は、このスタイルにずたずたにやられたが、自動車産業は、モジュール化は進んではいる
 
 ものの、乗り心地や加速のフィーリング、コーナーリングやハンドリングといった人間の感性に

 訴える車では、そう簡単に所謂モジュール化への移行は難しい。

 
  トヨタのケイレツ企業は、トヨタの要求は非常に厳しいが、それに応えることにより、

 トヨタでも少し儲けさせてもらい、グローバルの他社で大いに儲けさせてもらうという

 構図ができているのである。

 つまり、トヨタと付き合うことは、授業料は高いが、その勉強の甲斐あって、世界のどこでも

 通用する実力を備えさせてくれる、学校であり、研究所なのである。


  話を戻すと、地球環境問題の根源は、やはり先進諸国の責任という結論に達する。

 つまり、グローバル調達をするにせよ、SCMと言われるような効率という概念に対して、

 絶対的価値を認めるのではなく、環境問題をも包含してケイレツとして、

 第一次産品の零細業者をも厳しく育て、

 自律して世界で歩いていけるサプライヤーに育てることも

 先進諸国が大多数だが、グローバル企業の責務であることを 大いに自覚する必要があるということ

 である。

 日本発のコンセプトのケイレツシステム、とても良いシステムだ。

 金のない日本が、欧米の金のある企業に対抗する意味で大野太一が考えたシステムが

 今のところ、世界の一番の見本になるのではないだろうか。

 現代的に言うと、「アナログとデジタルの融合」が大事であると、抽象化できる。


 
  >現代的に言うと、「アナログとデジタルの融合」が大事であると、抽象化できる。
この部分の抽象化がよく分かりませんでしたが、結局、日本発信の、新しい(日本にとってはなじみのある)やりかたで、グローバルな環境問題を克服できる可能性がある、ということですね。

   というコメントを頂きました。


  言葉足らずですみません。その通りです。

 もう少し言葉を足すと、デジタルは、数字ありきの選択肢で、コストの最小化と効率の最大化を目指すもので、これを否定はしません。

 アナログは、すりあわせが必要で、効率化という点では短期的には非常に悪いものですが、長期的な視点からすると、それ程悪ではなく、効果が上がるものだと思います。日本では、民族的に単一に近いので、阿吽の呼吸でできます。しかし、その呼吸であっても「のりしろ」をとって、すり合わせている世界が日本的なのかもしれません。

 しかし、アナログはグローバルでは民族や宗教等の違いから、日本でものりしろをとって時間をかけてやっているのに、もっと時間をかけないとできないものだと考えます。

 そこのところを補完するのが、デジタルだと考えます。
それがカンバン方式に見られるということです。
 
 すりあわせするところは徹底的にして、効率化できるところは徹底的にデジタル化するという融合が大事だということです。
 
 まさに「日本的中庸」が世界を制することになると考えています。
 
  環境問題でも、日本的なすりあわせがあってこそ、発展途上の国々の人々にわかってもらえることだと思います。
 それが、先進国の責務だと思いますし、日本が率先垂範してやることにより、環境問題を克服できると信じています。