イノベーションのジレンマ

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 クレイトン・クリステンセンの名著として知られる『イノベーションのジレンマ』がある。
 これは、一言では言い表しにくいが、「製品について、現在市場で評価されながら頑張れば頑張る(大成功モデル)ほど、違ったパラダイムで出してきている新製品にやられてしまう」という概念だ。

 つまり、二枚目の写真のように、最初はそれ程コンペティターに見えなかった製品が市場に認められ
始めると、もともと認められていた製品が、その応援団になってしまうというジレンマのことを言っているのである。
 これは、製品でなくてもデルのようにビジネスモデルについても言えることである。
デルのモデルはシンプルなダイレクトモデルと言われる直販モデルだ。これに比べて、日本のNEC富士通ソニーなどが元々の販売店経由で売るので、どうしてもコストアップになってしまうので、一般に差別化しずらくなっているパソコンでは、性能が同等であると、安価なほうに流れるものである。

 このことからも日本のPCメーカーが元のビジネスモデルで頑張れば頑張るほど、デルの応援団になるとうことである。
 最近は、PCそのものだけに価値を見出しているのでないということが分かってないくて、デルは苦戦
している。アメリカ的な効率経営があだになっているが・・・。
 他にもたくさんある。ソニートリニトロンしかりである。
 シャープの町田氏が1998年社長になった際の言葉「2005年までに国内の液晶TVをブラウン管から液晶(パネル)に置き換える」を本気と捉えなかったのである。

 これを国に当てはめると、日本は高品質の製品を安価で売る(大成功モデル)というパラダイムで歩んできた。
 しかし、このパラダイムで頑張れば、頑張るほど、中国の応援団になり、日本は疲弊していくだけであることを早く気づく必要がある。
 中国で製造することを何も否定しているのではないが、そこには戦略が必要だということだ。
緊急避難措置としての中国での製造拠点化はよくないということだ。中国のマーケットを意識しての進出ということもあるが、日本企業はどの層に何を売るということを明確に決めたほうがよいのでないだろうか。

もうGDPは500兆円で良いではないか。
 これから人口減少は続いていく。毎年地方の県の人口が一つずつ消えてゆくスピードだ。売上げ志向はもうやめたらどうだろうか。利益志向で。
 その為には、高品質で高付加価値のものを日本で造って、日本でまず売れるようにすることだ。
ミスミの三枝社長の言う「創って、造って、売る」のサイクルを日本の中でもう一度立て直すことが重要である。
 中国製(日本のメーカー)の安いものを積極的に売るのではなくて、低所得者をターゲットとしたものは作らない覚悟で望まなければならない。
 それは、日本の企業に勤める労働者の所得を上げるという戦略的な人事施策が必要になる。和田秀樹氏も『「新中流」の誕生』 (中公新書ラクレ)の中で、同様に主張している。
 何よりも歴史が証明している。あのヘンリー・フォードがT型フォードを販売するに当たっても、従業員の給料を3倍にしたという、世間をあっと言わせたことも同様に捉えて良いのではないか。

以前、私はスイスのスオッチグループのCEOであるニコラス・ハイエクさんにスイスの田舎のレストラン(ブレゲの工場の近くの湖畔のレストラン)でお会いし、3時間ほど話をする機会があった。
 彼は、「スイスの時計業界を救った男」として世界に名の知れた方だ。「スイスを救った男」ともいわれるくらいの方だ。その彼が、日本のクォーツに壊滅的にやられたと言っていた。
 彼は元々コンサルタントで、この業界に入ってきたのだ。それから分析を始め、徹底的に日本のクォーツに勝てる方法を探ったようだ。
 部品点数、モジュール化等徹底した合理化を進めて、これで日本のSEIKOやCITIZENに勝てるという確信が持てるまて開発に苦心したという。そこで、日本だったらコストリーダーシップ戦略をとりそうなものだが、彼は、コストで勝てる製造を確立したうえで、コスト勝負はさらさらやる気はなかった。

 その時に私に「魂を入れた」と述べた。
それが、ブランド戦略であり、スォッチの誕生だったのである。また、その裏で、スイスの労働者のコストも非常に高いながら、厳しい時でもそれには手をつけなかったと語っていたのがとても印象に残っている。日本の経営者はなぜそこに手をつけるんだ、と言っていた。とても含み多い言葉であった。

 さすが「経営者」であると感服したのを、今でも生々しく覚えている。
ここに日本も学ぶことがあるのだと思う。高品質のものを徹底的にコストダウンして、それを高付加価値をつけて高く売るというものだ。

  日本は人口減少といいながら、まだ働く層はまだ減らない。この間にパラダイムチェンジして徹底的に製造回帰をすべきである。それは日本に工場を戻して戦いを始めるべきである。もちろん製造コストが上がる。賃金も上がる、つまり地方に工場を造ることになるのは、土地の都合や製造コストを考えれは当然の選択になると思う。
  このようにすることにより、以前言われた「一億総中流」意識が戻ると思う。日本は、単一民族に近く、つまるところ、阿吽の呼吸で今までやってこれたと言ってよい。
 しかし、ここにきて「格差社会」と言われることが現実に起こってきている。
多民族国家であれば、それも許されるところだろうが、日本文明ではそれはしてはいけないんだと思っている。どのくらいの格差が良いのか前掲の和田秀樹氏も主張しているが定量的に図ってみても良いと思う。
 民主主義は当然これからも進化させなければならない。その上で、民意が反映された格差のない社会が望まれる(ある意味で共産主義の理想)。


  まとめになるが、そのような意味からも経営トップの意識のパラダイムを変えなければいけないの だが、日本はミドルがどう活躍するかにかかっているんだと思う。
 このネット社会では、中間排除というのがコンセプトのように言われるが、日本はそれをしたらだめだと思っている。ただムダは当然切るべきで、その必要性、重要性をしっかり認識して、そのミドルという概念を広げることが重要だと思う。
 そうすると究極はトップ以外はミドルになるのかもしれない。
 先日亡くなった河合隼雄氏の「中空構造」ならぬ「天空構造」だろうか。
それにしても「一億総中流」は言い当てて妙な言葉である。
 日本は、河合氏が言うように「日本の神話」まで中空構造らしい。

 そんなところからも感じることができるし、それが日本の成功する型であると思うこの頃である。
 いかに底上げしていくか、なのである。