我々日本には、蛇信仰というものがある。
最近は、田舎でも少なくなって絶滅した種も数多いのではないだろうか。
私も小さい時には、蛇を捕まえて、振り回したりしたことがある。とても駄目なことを
したと少し大きくなってから反省したものだ。
蛇は脱皮をを繰り返し、とても生命力の高い生き物と感じている。
その生命力からか、多神・多仏の我々のような国々では、
神聖化した生き物とてして考えられてきた。
が、どうも一神教の世界では、邪悪なるものとして捉えていたようである。
それは、蛇というだけではなく、生物に対して、いや地球に対して、我々は生かされている
と捉えるのか、自然をコントロールするのかという、全く思想的に違うということを
今回の旅でも感じることができた。
その中にあってトルコの方々は東洋、西洋の十字路に位置して、私には、思想の背景として、
それほど日本人には遠くない根っこの精神があるように感じた。
ほんの少しの滞在で分かるわけもないが、西欧とは違った心情をもっていることは間違いない
のではなかろうか。
写真はそんなトルコの中で、ビザンティンの正教の時代に蛇に関する遺物である。
とても神聖化していたとは思われないものを撮った。
メドゥーサ(地下貯水池にある横向きの女性)は、ギリシャ神話で、
アテナによって怪物にされてしまうわけだが、ここイスタンブール
までくる(時間が経てからという意味で)と少し人間らしい顔になっている。
しかし、その髪の毛は邪悪の象徴の蛇なのである。