あるモスクで感じたこと。。。(於: イスタンブール)

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イスタンブールにある、ある古いモスク(イスラム教)に行きました。

 元々、ビザンチン時代に立てたキリスト教(正教)でした。
 門をドンドンとたたき、誰か出てくれないかという、何もアポも取らずに押しかけたのです。

 幸いにも中から50代半ばの男が門を開いてくれました。
 「中を見せてもらいたい、できれば説明もしてもらえると有難い」というオファーをすると、案外、
 すんなりと通してくれました。

 ただ、あまり時間がないと言うことです。
 それは、「夏休みにコーランを習いに来る子供たちがいるので、教えなければならないからだ。」
 ということが分かりました。

  案外丁寧に説明してくれました。ホンの僅かですが、ビザンチン時代を忍ばすモザイク画の片々が
 残っていたことです。
  説明の最後に、「これで以上だ、その後(にやっと笑って)分かっているだろうな。」
 でした。こちらもそのつもりでしたので、30リラ(5000円程度)のチップを手渡して出てきました。
 20分程度の見学とやり取りでした。

  その間、子供たちが入って来ていました。コーランを習いに来ているという。日本で言えば、私が
 子供のころに習った習字やソロバンに相当するのでしょうか。
 同じ感覚のようでもあるが、良く考えると全く異質な習いごとではないでしょうか。

  片方は、社会的、また精神的な統一のため、私たちは、合理的な目的を達成するための手段という
 大きな違いになります。
  習いにきていたのは小学生でしたが、その頃の脳は、我々も思い返すと、特に印象に残った先生に
 教えられたことは、結構残っているものです。このように目上の先生という人間に教化されやすい
 という生得的な傾向があるのではないでしょうか。
  この特質を宗教指導者(政教分離でもかなり近い政治家?も含む)は良く分かっていて、宗教教育に
 力をいれているのだと思います。

  これをすることによって将来において、思考、志向ともに大いに影響を及ぼすことになることは
 間違いないことです。