山崎豊子原作『沈まぬ太陽』の映画化

 ナイロビからカイロ経由で成田までの飛行途中(約12時間)、
 私は基本的に寝ずに本を読んでます。

   大変なように見えますが、案外慣れるのか、集中して読めます。
   こうすることによって、いつもながら時差ぼけはありません。
   昨夜も大好きな「オーディオ」を1時ごろまで聴いていました。
   それで直ぐに寝て、7時には起きました。

 今回も重いのを2冊、軽めの小説を1冊持っていきました。
 
  その帰り便で、『週刊新潮』をめくっていたら、
 「アフリカの大地が教えてくれた人生の解答」という見出しがありました。

 今回、アフリカからの帰りでしたので、思わず読んでしまいました。

 10/24から主人公である恩地元を演じる渡辺謙さん主演の映画です。
 ナイロビのスラム街のキベラでも撮影したらしい。
 ここは、我々観光客は入れないところです。

  私は入って来ましたが・・・入らないほうが良いというのが良く分かりました。
 ドライバーが顔がきく人でしたから、囲まれても大丈夫でしたが、普通は無理なところです。

 それから「野生の王国」のマサイマラにも行ったという。

 私も行ってきました。(後日掲載します)

  このようなところに行って感じることは「文明化した人間」であり、「西洋化」した価値観で
 何事も判断してしまう、間違った答えを出してしまうことです。

  時間軸や価値観の違う方々と話し合ってきました。
 とても田舎のマサイ族の小学校の分校のようなところも行ってきました。

  彼らは彼らの幸せ観を持って生きています。
 
  別のところである18歳の少年と話をしましたが、「何処に住んでいるのか。」
 と尋ねるとここの近くだという。

  この近くが我々の基準と全く違うのです。
 
「歩いてどのくらい?」

  3時間、と平然という。

  小学校も5km離れているということをある少女から聞きましたが、近いという。

  我々は、つねに効率ということを念頭に仕事でも遊びでもしてしまう。

  それが果たして良いのか、「論理的に正しい」
  という論理は何なのか。
  それも西洋合理主義の上での論理であるはずだ。

  それを通していくと、幸せにたどりつくのか、
  聖書にはそう書いてある、など
  宗教も解釈によって西洋合理主義に基づいている。
  マックス・ヴーバーしかりである。

  近世では、デカルト、ベーコンによって見事に「不連続」な文脈がつくられた。
  それを連続にみせる西洋。

   しかしながら、我々は東洋です。
  もうそろそろ東洋としての日本人のアイデンティティの「不連続」の文脈を
  打ち立てないといけないのではないでしょうか。
  それをその後の「連続性」に変えていきたいものです。

   この「沈まぬ太陽」のように私は、あの日航機墜落事故にも少し関係しましたし、
  ケニアにも行ったことから、繋がりを感じます。

   原作も読んでませんし、映画もこれからですが、
  あまり小説は読みませんが、読んでみたいと思いますし、映画も観てみたいと思います。

   またゴールドマン・サックスが最高益というニュースを帰ってきてニュースでみて
  ものすごい嫌悪感を感じてしまった、このギャップに書きました。