辻井喬『新祖国論』

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 あの西武流通グループの総帥だった堤清二さんのペンネームの辻井喬さんの名で出した

 ところに、本音を書くため、と感じたので買ってみた。


    もしかすると、ご自身が行為としてされてきたことに対する、
           大いなる反省という認識
    にたって書かれた本かもしれない。

  
      人間は、歴史的な視点に立てる年輪を感ずるようになると、
        自戒をこめて次世代へのメッセージを投げかけて
             くれているのかもしれない。


 最近忙しく、あまり本を読んでいなかったので(でもオーディオはやっていたけど・・・)、
 
 少し、こちらのほうも欠乏症になってきたので、読むことにした。


  さすがに、文化人というタッチです。

 私にはまだまだこのようなコンテンツとともに文脈をともなった深さがないことが

 これを読んで良く分かります。

 まだまだ、めくりはじめたばかりですが、少し気になった文節を書き出して見た・・・

 
  「・・・冬は人生に対する態度の差をはっきりさせる季節だと言えそうである。」(p19)

「敗戦後60年の過程で、いわゆる革新的言説が次第に影響力を失っていったのは運動を
指導するひとたちが現実を認識することを拒否し続け、総てを原典から解説しようと
してきたばかりでなく、彼らが感性に訴える言葉を持たなかったからではないかとい
う気が僕にはしている」(p25)

私見によればわが国が外交政策で輝いていた時期は2回あって、ひとつは明治維新
からまもなくの時期、列強の無理な要求に耐えながら、国際関係をよく見て日英
同盟に漕ぎつけた時代、もうひとつは敗戦からの20年ぐらい」(p29)

「・・・僕は、人間を対象にした法律の適用は『疑わしきは罰せず』でなければならない
   が『疑わしきを罰する』のが公害問題だと・・・・」(p33 今の地球環境問題を公害と捉えている)

「・・・の側面の指摘が歴史記述に少なすぎるような感じが僕にはしている。・・・人物、英雄
   事件の生起から歴史を見るのではなく、ブローデルの膨大な『地中海』のように歴史
   を社会全体の変化してゆく姿として捉えるのだ。・・・・民族それぞれの文化的な個性
   によって判断することが可能になると思われる。そこから初めて偏狭なナショナリズム
   ではない民衆の歴史が姿を現すのではないか。」(p47)

このように物事を直視しながらも、一歩も二歩も下がった立位置からみていて、とても
  私には参考になる書籍です。

   読みやすい本ですので、さっと2~3時間あれば読めますが、著者の本意を汲み取るには
  知性がなければ難しいんだと思います。まだまだ修行が足りません、と感じてしまいました。