『古事記』『日本書記』の神話のいざなぎの尊といざなみの尊の間に生まれた第二子である
大日霊貴尊(おおひるめむちのみこと)こと天照大神をまつる宮である。
太陽神として有名である。天岩戸の神話とても有名な話があることはご存じだろうか。
式年遷宮と言う20年に一度、大御神に隣の殿舎に移って頂く行事だ。
この大事業は途中途絶えたこともあるが、連綿と1300年も続いてきていることが
奇跡としか思えない。
法隆寺のように建てたものをずっと守りぬくことも大事なことだし、世界遺産のように
守っていくというのも、残して後世に伝えるためだが、その伝え方が人の力によって
壊しながら、また新たに同じものをつくり続けるという作業がいかに大変なことか、
説明や本を読んで驚くばかりだ。
あれほどの立派な殿舎がなぜ20年に一度かということも疑問であったが、色々な理由から
納得もできた。
確かに茅葺の屋根は人間が住み、その茅葺のしたで、囲炉裏や竈さんで火を使い、煙をだすこと
により、防虫、防菌効果があることで50,60年もつらしいが、何もしないで雨ざらしだと
20年が限度ということが納得できること。
それに今は、人生80年があたり前のようになっているが、
本の少し前の大東亜戦争あたりでも人生50年程度だ。
明治の中ごろでは37,38才程度だったというから、1300年前だったら確かに20年に一度の
建て替えにしないと、その伝統的な引き継ぎが行われていかないだろう。
そのうえ、その当時は識字率はどうだったかというレベルではないはずだ。
ということは、ドキュメントとして残してなかなか引き継げないということだ。
伝承という、ものすごい大変なことをこのような20年で遷宮するという新たなコンセプトを
つくりだした凄さに敬意を表するかぎりだ。
この式年遷宮というコンセプトを継続していくというその精神性に日本の製造業の
の底力の源泉を感じたのだが、間違っているだろうか。
樹齢200年と言われる直径60㌢以上の桧が10,000本も使われるというこの大事業、
それに元々使われていたその檜がその後もずっとリユースを繰り返すシステム、
つまり日本には循環思想が根付いているのだ。
地球環境問題がここにきてにわかに世界中の問題になっているが、日本はむかしから
もったいない、の精神、リデュース・リユース・リサイクルという、
3Rの精神がDNA化しているといえよう。
つまり、まずはもったいないの精神のリデュースするという、ちょっと使いましょう。
それを何回も使いましょう、それができなくなったら加工したり、それもできなくなったら
熱回収していこうとするリサイクル、というみごとな仕組みを普通にできる精神が
引き継がれていたといえよう。日本はそれだけ循環型社会に適合してきたといえる。
急に西洋化してその精神がなくなりつつあるが、それは最近のことなので、循環型の
精神はそう簡単にはなくなるとは思えない。是非その精神をいかしたいものである。
写真の五十鈴川にかかる宇治橋も20年に一度架け替えられるという。
来年がその年だという。
毎年600万人の参拝者があるそうで、20年をかけると1億2000万人がここを通ることになる。
日本の人口にあたる人々がここを渡るそうで、足の下のその木が6センチも薄くなるそうだ。
下から4枚目の写真の石は、日本の国歌『君が代』に出てくる「細石(さざれいし)」です。
。。。。つづく