リチャード・フロリダ著『クリエイティブ・クラスの世紀』

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 欧米の我々人間の仕事の分類として「ホワイトカラー」と「ブルーカラー」という二項軸を提示している。
 この考えの根本には、優位と劣位の概念が根本にある。
 欧米の根本にある、二項軸には必ずそれが存在する。

 西洋と東洋もそうだ。もちろん欧米に限らず、対象概念化しているものには、命名したというか、概念化した者には、それは優位としてつけているはずである。
 それは意識的であろうとなかろうと、どうしてもそう感じざるを得ないところがある。

 大乗仏教小乗仏教旧約聖書新約聖書などもそんな範疇に入る。

 そんな「ホワイトカラー」と「ブルーカラー」という二項軸の概念を乗り越えた「クリエイティブ・クラス」であるが、これは日本にとてもしっくりした概念であると感じるのである。

 日本は現場で持っていると、よく言われる。
 正しくそう思うのである。
 現場=ブルーカラーではなく、概念的にはホワイト化することが、日本の強みになるのであろう。
 現場という定義もしなければならないのであるが、
 そのホワイト、ブルーという、いわゆる上下の縦関係ではなく、
 横関係でもない、糊しろ関係とでもいうものだろうか。
 日本はここを大事に考えないといけない。
 今よく言われている、「場(Ba)の理論」なのかもしれない。

  いずれにしてもこの本を読みすすめていくと、

 キーワードにつきあたる。

  3つのTだ。

  Talent(優秀な人)
  Technology(技術)
  Tolerance(寛容)
 
  なるほど、と思うところもあるが、
 私はアグリーできない。
  最後のトレランスである。非常に心地よい言葉に聞こえるが、
 私が書き進めてきた、優位と劣位という表現に見事に当てはまることばであるからだ。
 アメリカ(欧州を含む)にある、優位をくずさずに
 その中で劣位も認めていこうとする態度に他ならない。

 東大名誉教授の比較文明学の権威である伊東俊太郎さんのいう「自他等値」とはかなりかけ離れた
 概念だと認識している。

 あくまでも「上から目線」の発想である。

  ただ、これを批判するのではなく、それはそのようなものだと日本人として飲みこんだ(認識)上で、
 どのような態度、制度として今後に推し進めていくか、が大事だと思っている。