カンボジアのトンレサップ湖

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今は雨期にあたり、水量は多い。
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水域は雨期と乾季で数倍は違うという。
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定住?の船と移動用の船です。それ以外に漁業用の船を持っています。
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学校です。エアコンもついているらしく、室外機が見えました。




カンボジアにあるトンレサップ湖が現代のようにダムによる人工的な調節弁として歴史的に大きく寄与した。その上、大きな湖としいうことで、その漁場として人々の蛋白源として大きく寄与している。
 ここの魚は淡水魚だが、その肉質はよく味も良いので、換金性も高いと聞きます。漁村の民は、水上生活者である。日本人としては、また西洋化した私の生活習慣からするとあり得ない感覚だった。
 このトンレサップ湖は、雨季と乾季の関係上、先ほどの天然のダムの役割を果たしているので、
その湖水量の差異は非常に激しい。多いときは琵琶湖の10数倍、少ない時には琵琶湖の3倍程度だそうだ。
 それは何を意味しているかというと、漁港が海なら同じところに停泊できるが、このような水量の差はその水面に合わせた漁港が必要だし、漁業という仕事と住居の接近が必要な職業ということから水上生活というコンセプトが生まれるのは当然の流れだ。
湖岸に定住した生活という我々の概念を超えた「湖岸水上定住」漁村がそこにあった。

そこでは、水上であっても、網のメンテも行われていた。漁船の修理(造船)、それに驚くほどの子供の数。おそらく子供が10人いる夫婦もいるだろう。そうすると教育はどうなっているのか。もちろん学校もあった。病院も。驚いたことに立派な協会まであった。店はいたるところにある。ガソリンスタンドしかり。そんな漁村が移動しながら生活をしているのである。
 しかも案外良い生活らしい。家(船)では音楽を聴いたり、テレビを見ている。ペットとして犬や猫も飼っている。漁業として十分に成り立ち、必要なものは普段は水上生活の場で手に入り、そうでないものは街に買い物に行くのだ。

トンレサップ湖カンボジア人の住むところである。その近くにある世界遺産アンコール・ワットの遺跡を見るとヒンズー教であることが分かる。となりのアンコール・トムはこの地の宗教である仏教とヒンズー教が習合しているのが分かる。つまりカンボジアのこのトンレサップ湖と大河のメコン川は彼らの生活の場であったのだ。国家という概念での領域ではなく、生活の場としての領土であった。