優位のパラダイムと劣位のパラダイム

  パラダイムという概念については、トーマス・クーンが『科学革命の構造』(1962)の中で

 語られている。ここではそのパラダイムという言葉自身について語るものではない。

 あくまで、社会科学としてのナレッジベースとして語りたい。
 

  劣位のパラダイムしか認識していない人々には、優位のパラダイムを全く無知であるか、

それを知っていたとしてもそれが、優位であるかどうかの判断ができないこともあろうし、

それをまず受け入れようとしない。この精神構造が「思考停止」を生み出し、衰退へと導く。

そのような思考停止状態から解放された時は、時すでに遅しのことが多い。

 以前にも書いたが、クレイトン・クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」のように

 その劣位のパラダイムで大成功し、それが継続していればいるほど、その後に出現した

 優位のパラダイムが見えなくなる。

 
 その優位性のパラダイムチェンジを起こすのが、日本人は得意なのか。

 私は得意であると信じている。

 ただ、別モデルに急に変化させるような「断絶を起こす力」はあまり持ち合わせていないような

 気がするが、シュンペーターの主張する一つである「レギュラー・イノベーション」が得意

 なのだと感じている。

 まずは、日本人は、スポーツの世界でも優勝してもまずは反省の弁から入ることが多いが、

 その反省するという満足しない精神が思考停止とは逆の精神構造を作り出しているのであろう。

 その反省により、改善、カイゼンをし、日が経つにつれ、元の形からかなり違った

 断絶に値するイノベーションが起こっているという、日本の勝ちパターンがそこに見出せる

 のだと思う。

  その認識に立つことが非常に重要で、そのような勝ちパターンが起こるような会社の環境とは

 どのようなものなのかを、しっかりと把握する必要がある。

  つまり、パラダイムチェンジの仕方が、日本人の流儀は違うということを認識して戦えば、

 危ういことはないと信じている。


   次のキーワードも日本としてどのように考えるかが重要だ認識している。

 
  
  現代はグローバル化、ボーダレス化、多様化という外向きの志向の中で、日本は同化という内向き

 に強い志向に特徴がある。

   この折り合いをどうつけるのか。

 日本におけるグローバル化、ボーダレス化、多様化について

 日本流に焼きなおした定義が必要なのだと思っている。

 この点についてご意見を頂ければ、幸いです。