褐色のマリア (グアダルーペ寺院) メキシコシティ

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

  今回、ペルーとメキシコを巡ったが一番行きたい場所であったのが、このグアダルーペ 

 カトリック寺院だ。

 1531年12月9日に出現した褐色の聖母マリア像が浮かび上がったという奇跡のティルマ(マント)がある。

 多勢の信者が巡礼に訪れていた。ひざまずいて一心に祈る姿が目に焼きついた。

 そのばかりか、入口からずっとひざまずいて、その姿で前まで膝で歩いてくる信者が多いのに

驚く。

 昔はこんな姿が、市のいたるところで見かけたそうだ。寺院にくるかなりの距離を膝で歩いてきたようだ。

 その道は、膝からの血で染まったそうである。


  奇跡のマリア像はもう500年近く経っているのに全く色あせないそうである。

 今は、フラッシュも駄目になったし、額に入って大事にしているようだが、

 以前はそんなこともしていなかったという。

 それでも色あせることなしに、今日まできているそうだ。

 まさに、奇跡のマリア様なのだ。

 世界で一番巡礼として訪れる信者が多いという。あのバチカン以上だという。

 それはどうか、と思ってしまったが、一日あたり300万ペソ(約3000万円)の金が集まるという。

 うがった見方かもしれないが、凄い集金システムだと思う。

 階級社会で低い階層の方々が信者としてここに訪れているようだ。

 階層の高い人々は来ないのか、と質問したところ、彼らにはもう奇跡は必要ないとのこと。

 なるほど、と納得してしまった。もうその奇跡はおこらなくとも手に入っているから、

 ここに来る必要がないのである。

 それでもそのような人々は12月9日にこの寺院に高額な寄付をするそうだ。

 それは、純粋にはカソリック教徒であることだからだ。

 しかし、私にはそうは感じなかった。

 そのようなパフォーマンスをすることで、低所得者に対する鎮魂効果があるから

 しているように思えてならない。

 ある意味、宗教は怖いものだ。

 メキシコでもある言葉を聞くことができた。

 宗教と倫理、道徳とは関係がないと、いうことだ。

 とてもショッキングなことだったたが、そんなものなんだと最近は冷めて聞くことができている。

 でも低所得者で教育を受けられない、受けていない階層の人々にとっては

 かけがえのないものなんだ、ということもその祈りの姿をみて感じた。

 人間は残酷な生き物だな。