百人百様の「蓼食う虫も好き好き」な趣味の世界ですが・・・その2

日本語はこの日本国だけが、公用語として使用している言語です。

 つまり1億2000万人余の人々が使う言葉です。
 その他の60億人余は使っていない言語です。

 その言語を使ってこのようにブログやSNSで発信しているのをビット数に換算すると、

 それは世界の半分(英語やフランス語、ドイツ語、スペイン語、中国語等々、等々)にもなるという
 恐ろしいデータがあります。

 日本人は発信するのがこのグローバル社会では下手だとも言われているし、日本人自身がそのように
 思っている方々が多いと思います。

  しかしながら、上の事実に照らして合わせてみるとどうか。
 いかにも、そこにはギャップがあることに私なんかは驚いてしまいます。

  また、日本人は控えめで、イエス、ノーをはっきり言わないで、何を考えているのか、

  わかりづらい国民性であるとも言われます。

  実際に海外に行って、名だたる企業の幹部の方々と話をして、議論をして深めていくと、

  ちょっと待ってよ、という感じになります。
  苦笑いしながら、日本人はそんなに詰めてこないのが、普通だよ、という話に何回か
  なったことがあるくらいです。

  その反面、村八分と言う言葉が今でも生きているくらいに、協調して組織に参加しないと
  仲間はずれになってしまいます。

  それを恐れる民族とも言えます。
  いじめ問題もその大きな一つでしょう。

  また、顔が見えないと結構、強く発言しがちです。
  2チャンネルやブログ、SNSのコメントにもそのことがよく現れています。

  それから、これは私も自戒しないといけないのですが、
  その物事を中途半端に知っていると、結構辛らつな意見を言いがちです。

  自分は結構このことについては、一家言があって、ものを申しているのでしょうが、
  それは認識不足、知識不足、経験不足の時に起きがちです。

  これは、これで、若いから元気があっていいね、という言われ方で済ませることも
  多々あります。

  そこを極めていき、自分の知らない世界が見えてきて、それを認識しだすと、
  ソクラテスの名言「無知の知」が見えてくるようです。

  知れば知るほど、わからなくなるし、謙虚になります。
  それは奥の深さを感じるし、その奥が恐ろしく深いことを理解するからだと思います。

   

     オーディオも奥が深い世界です。とてもスペックで表せません。
  それに、個人個人の趣味の世界ですので、その方が良かったら、それで良いものです。

  しかし、人は感情と言うものをもち、組織化というある集団をつくり、そこで認めてもらいたい、
 認めさせたいと思う生き物です。
  そこが厄介で、お節介をやきたがるし、持論が正しいとの想いがどうも強くなり、

  このようなブログやSNSで首を突っ込んだコメントをしがちです。

  もちろん、そのような議論をすることで、新たな認識を獲得できて、より高次な音追求に
 プラスに働くことは多々あります。

  メーカーも自己主張をするために、そのメーカーなりの哲学のある音創りをしているのだと
 思います。
  我々は、そのメーカーに対しては、買う、買わないという選択を持って、その哲学というか、
 音を評価すればよいのでしょうが、
  オーディオは、プレーヤ、CDP、プリアンプ、スピーカー、ケーブル、ラック、・・・部屋の環境
 のトータルとして音創りをしていますので、

  全く同じ機器を持っていても、かなり違った音としてアウトプットされるものだと思うのです。
 
  そうであるが故に、ブログだけをもって、その人の音を想像はできても、実際に聴いてみないと
 全く分からないものです。
  その人の人生観、全体観そのものと言ってもよいものですので、
  これを否定することは、「無知の知」を認識する領域に達していないということになるのかも
  しれません。
  やっぱり、趣味は説明できませんね。There is no accounting for tastes.

  難しいものです。