「フェルメールからのラブレター」展を観て

 渋谷のBUNKAMURAに行ってきました。

 17世紀オランダの画家ヨハネス・フェルメール (Johannes Vermeer, 1632 - 1675) です。
 17世紀はスペイン・ポルトガルの盛隆が完全に衰退した世紀であり、歴史上グローバルな視点で
 オランダが一番華やいだ時だったのではないでしょうか。

  フェルメールの絵からもそれが感じられます。

 絵は時代の背景がとても出るものだと感じています。

 ワンショットで書いているものですが、一即多の世界だと思うのです。

 特に昨夜のコンセプトは手紙でした。
 そのような文脈で語れる17世紀がオランダの時代だったのだと感じるのです。

  その頃は日本は鎖国に入ったころです。
 しかし、オランダと中国とはいわゆる国交があったことをこの展覧会からも感じました。

  日本の着物をアレンジしたコートを着ている絵があって、歴史的な遺産を観ているんだ、
 という実感でした。

  17世紀のオランダに関係する、フェルメールに関係する幾人かの画家の絵も多数展示していました。
  とても素晴らしい絵でした。
 しかしなぜフェルメールは世界的に有名になり、他の画家たちはそうでないのか、
 ということも頭に残りました。

  他の画家たちもデッサン力や構図を押さえる力は負けていないように素人ながら感じるのです。

  フェルメールは天才と言われます。他の方々もその当時からオランダで有名な方々だったと
  聞きました。
 しかし、現在での差は何なのか。

  絵そのものに差は、実は感じました。

 今回、手紙がコンセプトですので、あの有名な『真珠の耳飾の少女』(青いターバンの少女
 は無くて残念でしたが、以前観たことがあります。

  あの目に魅せられます。吸い込まれそうです。それに真珠の輝きです。

  フェルメールの今回の3点を観ても、ものすごく柔らかなのにピンポイントの
 鋭い輝きがあることが感じられました。

  他の画家にはないものです。

 その他の時代背景や文脈を見通す力は他の画家にもあり、その差異は感じません。
 ある一点の自然な輝きに我々は、知らず知らず魅せられているのかもしれません。
 
  それを描けるか、我々に伝えられるかが天才(超一流)と一流の差異なのかもしれません。

 おそらくそれ以外にも、何かあり今に伝わっているのだと思います。
 ストーリーとして文脈化したギャラリーがいたのかどうかは私には分かりません。

  私には、その一点の輝きが全てを表わしていることだけで十分に観た価値がありました。

  これを私としてはオーディオの音で表現したい衝動に駆られています。