残響の違い

 私は以前から「音と音のあいだ」ということを言葉としてどのようにお伝えしたら良いのか、
というある意味コンセプトというか定義あるいは井筒俊彦が言うような本質について語ってきました。
 
 我が家のCDプレーヤーがここ一年で飛躍的な進化を遂げました。
かなりなレベルだと感じます。

 さわさりながら、最近アナログを聴き始めています。調整し始めているといったほうが良いかも
しれません。なかなか何のストレスも感じない「普通」の音にならないからです。まずまずには鳴って
います。もちろんCDより上の音を私に伝えてくれています。
 しかし、ちょっとしたポイント、ある最高の一点の調整ができれば至福の音が伝わってきます。

 その音と手軽ではありますが、かなりレベルまできたCDの音の違いはどこなのだろうか、と
 思うようになってきました。
 それまでは圧倒的な差がありましたので、そんな差異は考える必要のないくらいの
 レベルでした。
  それがこのところある意味接近してきましたので、その差異とは何だろうと考えるように
 なってきたのです。

 それが音ではなく、音と音のあいだの静けさのところでしょうか。
 東京の我が家の朝、鳥は朝を告げるがごとく良く鳴いています。

  和歌山もそうです。
  その差と同じなのです。

  鳥の鳴き声は同じだと思うのですが、鳴き声の空間性に大きな違いがあるのです。
  深く広い中から聞こえるのと、平面なところから聞こえ差という感覚の違いがあります。

  これはスピーカーから聞こえてくるボーカルと左右の楽器や後ろの楽器の定位に大きな違いが出て
  きます。

  アナログはこれがしっかりと感じられます。CDもレベルが上がりましたので、これが感じられ
 るようになったので、こんなことを書いているのです。しかし、そこに差があるのです。

  以前拍手の音の差のことを書きましたが、左右、奥行きの音は真ん中のボーカルの音と滲み感が
  違います。
  後ろはどうしても、少しベールがかかったようになります。
  これがアナログを見事なピンポイントで調整すると後ろの楽器や後ろの聴衆の拍手も音は小さくなりますが、滲み感はなく、クリアでベールのかかったようななり方ではなく、同じ感覚で聴こえます。
  真ん中のスイートスポットの場と同じ鳴りかたになります。

  この差はどこからくるのでしょうか。
  それは音の反射の時間の波動が見事に再生されるかどうかによるのだと思うのです。
  残響が再生されるかどうかです。
 
   結局我々のリアルな耳への残響が感じられるかどうかなのだと思うのです。
  測定値ではCDのほうがS/N比は良いとデータ上は言います。しかし実際はアナログのそれのほうが
  我が家では圧倒的に優れています。(ただし調整が出来ていることが条件)

  そんなシビアな調整の最後は出来るだけシンプルにすることです。プリアンプをとばしたり、
  アッテネーターも良くありません。でもそれは一般的ではありません。
  音量調整できないからです。
  とても面倒なことです。
  ある意味車のF1の世界です。

  一般的にはプリアンプがその空間性を左右すると言われていますが、それは人工物として必要悪
として使わざるを得ない選択だからです。
  でもそれを挟むと空間性が上がるように聞こえ、パワー感もつきます。
  利得をあげて音創りをしています。
  少々昔のマークレヴインソンの32Lなどは巧くできていました。
  しかし、擬似的な空間でしかありません。実際S/N比がアナログとCDで圧倒的な差異など
  リアルな聴感上では出せません。
  巧くはまとめていますが。

  とても面倒ですが、我が家ではアナログとCDではアンプを換えます。利得が違うからです。
  まあアホなことをしているといえるでしょう。

   しかし残響の差異、それがレコーディングの部屋の大きさやそのレコーディング時の緊張感
   まで伝わってくるとしたらそのなアホなこともしたくなるのです。
  今後ともこの物理的、精神的な「場」のピンポイントの雰囲気の再現に努力したいと
  思います。