写真はアラル海のムイナクという、1960年当時、何千トンクラスの漁船が何百とあったところの、
死骸化した漁船と、
草原のように地平線まで、全く水がない湖底と、
塩で白くなった若干水分が残った湖底の部分の写真です。
もう私が生まれた1960年代のころのアラルと比べて1/4ぐらいの面積になっているそうです。
もう、元通りになることはないと思います。小アラルと言われる北のほうは、残りそうですが、
大アラルと言われるところは、死滅すると思います。
もう誰にもこの自然破壊をとめることは不可能だと確信しました。
しかしながら、誰が環境破壊を起こしていると認識しているのでしょうか。これを言っているのは、
直接関係のない先進諸国の言っていることで、直接関係している中央アジアのシルダリア川と
アムダリリア川の流域の人々は環境問題と思っていないと思います。
我々も食べることで精一杯の時に、直接見える公害問題と違うコンセプトの地球環境問題という、ジェ
レミー・リフキンが『ヨーロピアン・ドリーム』の中で言う「みえざる悪」といわれる直接利害が降り
かからない問題に対して、真剣になれるだろうか。
答えはノーです。
ユングの5段階欲求説の自己実現と同様な位置に属すると思われる、今言われている地球環境問題に
対して先進諸国でも足並みが整わないことを、発展途上であり、まだそれも民主化も?がつくようなと
ところで、考えることは不可能です。
しかしながら、そうしたらこの地球環境問題の解決は不可能なことかというと、それはNO
と言いたい。
先ほどの「みえざる悪」に対して「みえざる善」を我々先進国は、発展途上国に対して、
積極的にトライする必要があるだろう。
それは、マーケットメカニズムに則った生産性向上という過去のパラダイムではなく、スローな中に、
着実な省エネシステムをビルトインしていく仕組みづくりが必要ではないだろうか。
そのためには、金も必要だし、優秀な人材を積極的にしかも大量に現地に送り、
その仕組みづくりに参画させることが必要なことだと思う。
これが軍事ではなく、ソフトなパワーとしての国際貢献に大いに繋がることだと思う。
今も、世銀やJICA、ODAを通じて努力はされているとは思うが、
もっとアピールして、しかも大掛かりでする必要がある。
分散ではなく、集中投下が。
それによって環境破壊されたところが、見る見る改善されると世界中にPRされることに
なるだろう。
折りしも、アメリカも環境問題に敏感になってきたのであるから、その情報(戦略)をできるだけ
入手して、アメリカの先を行く環境マーケティングとでも言おうか、先んずれば制す、ような
貪欲さをもって環境問題を積極的に取り組みたいものだ。
文明と環境、についてもっと真剣に考えていきたいと思う。