第二次世界大戦後60年を越えて

 日本は、第二次世界大戦で米国となぜ無謀な戦いを行ったのか、定量的な把握力も日本軍の幹部にはあったはずだ。
 意思決定意する前の認識において、十分に踏みとどまれたのではないか。
 そのことは山本七平さんの『空気の研究』によると、そのような意思決定しか出せないアトモスフェアだったということだろうが、本当はもっと違ったところに、この本質があるのだと思う。
 「書籍」のところでも書いたが、京都大学中西輝政さんは、60年を経ないと「客観的事実」が出てこないという。
 いや、もう少しかかるのかもしれない。その歴史上のキーマンの子孫に多大な影響を及ぼす場合は、100年ぐらい後でないと、その真相真実は明かされないのではないだろうか。
 その言う意味では、20世紀中ごろに起こった大戦の真実が、語られてはいるが、100年後には
違った大どんでん返しの真の真実が出る可能性がある。
 現代史というカテゴリは利害関係が今尚影響が及んでいると考えるべきだし、多方面に重なり合って、「事実と違う真実」が語られている可能性が多いということになる。
 特に政治が絡む国際間の駆け引き、パワーバランス等非常に複雑に絡み合っているため、出てくる
情報が真実でない可能性が高いことを認識しておく必要がある。
 日本人は、そのような国際政治において駆け引きが弱いとされるのは、欧米の強国と言われる諸外国が使う、「二枚舌外交」に騙されやすいからだ。
 また、日本は「騙すより騙される」ほうが良い、というような美徳の精神があるため、余計である。
 今後、日本はグローバリゼーションの中で、どのような政治・経済の軸を見出していくのが良いのだろうか。
 回顧的ではないが、武士道のような精神が見直されていることは、良いようにも見えるが、
周りの諸外国が「騙されるほうが悪い」というスタンスで戦ってくるわけだから、「キレイごと」で渡り合えるのだろうか。
 大戦中もソ連の「コミンテルン」と呼ばれるスパイにやられたという説も現実味を帯びてきている。
現代の経済界でも産業スパイは欧米、中国では当然視されている。
 その点では、日本は非常に危機管理のできていない組織である。
 しかし、そんな脇の甘い中にあってよく戦っているとも言える。何が将来に向けてのサステイナビリティの鍵となるのか、しっかりと戦略を練る必要がある。
 日本という「一国で一文明」であり、アジアの非キリスト教の先進国が、今までとどのような違いをみせて行動にでるのか、しっかりと見守りたいし、私自身が、より注意深い言動をしていきたいと思っている。