サミュエル・ハンチントンは有名な『文明の衝突』のなかで、日本を「八大文明」の一つと定義し
た。
「一国一文明」という範疇では世界で唯一無二な存在である。
文明の大きな位置にある経済的な側面においても、GDP(国内総生産)で1970年には、当時の西ドイツを
抜いて、アメリカに次ぐ世界第2位のポジションにい続けている。
一人当たりGDPは、・・・・ 510兆円/1億2800万人=約400万円弱で、米国に肉薄している。
また、文化というのは、どこの国でも、どの地域でも存在し、固有の価値観をもったものである。
それに優劣はつけ難い。つけるとなると、紛争になったりする。
しかし、その文化については、各国においてマイノリティと言われる少数民族に対して文化権として
寛容に認めるが、自決権(自治権)は認めない。
また、日本は、民族として、文化的問題ではなく、政治的な問題があり難しいが、琉球民族や
アイヌ族、それに在日朝鮮人やブラジル系移民などの民族があるもののほぼ大多数をしめる
大和民族と言われる私たちが、あまり世界で日々伝えられているような民族紛争を経験せずに
ここまできた。
文明と言われるからには、他文明や他の国々、他の民族に影響を及ぼすから、それ故、文明だと
思うのである。
引き寄せられる求心力であったり、また他への影響という遠心力が備わっていなければならない。
川勝平太さんは「あこがれる文化が文明である」と、とても平易な言葉で定義している。
その文化も「ハレ」ではなく「ケ」という日常の中にそのあこがれがあるかどうかが重要と
続けている。
日本は、周りを海に囲まれた小さな島国である。大植民地時代もポルトガルやスペインからも、
南米やアフリカのような侵略を受けずにここまできた。
ただ、ポルトガルやスペインもただ単に小さな島国だから見過ごしたわけではない。
世界遺産に登録された「石見銀山」のようにそのような財宝がある国と認識されながら、
結局攻め切れなかったと見るのが正しいのであろう。
それだけ、日本には、抽象的にまとめてしまうが、「知」があったが故に、隙がなかったのだと思う。
こんなことを考えながら、今週末から「マヤ・アステカ・インカ文明」が滅亡した地に行ってこよう
と思う。
血で血を洗うような残虐な民族紛争があり、本当に紆余曲折しながら今日のメキシコ、ペルーがある。
その現在の姿と過去を照らしながら、日本文明について、しっかりと考えたいと思っている。
どうぞ皆さんがお考えの日本の文明観についてお聞かせ下さい。
以前にも「日本文明」について載せています。
http://blogs.yahoo.co.jp/nao_torachan/6655299.html
ご一読を!