内村鑑三『代表的日本人』1908年

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 日清戦争から日露戦争の動乱期に相次いで、3人が日本語としてではなく、英語で書いた本である。

 いずれも、長く閉ざされた江戸時代が終焉し、西欧化に向かって突き進んだころのこと。

 つまり、このまま西欧化に突き進んで良いのだろうか、という疑問がもたらした書籍とも言える。

 そのアイデンティティ・クライシスに対して、熟慮の末に生み出された後世に残るものである。

  新渡戸稲造『武士道』1899年
  岡倉天心茶の本1906年

 3冊とも日本人の心を世界に知らしめた画期的な書籍であると言えよう。

内村は悩みながらも、クリスチャンの洗礼を受ける。そのクリスチャン(新渡戸も同様で、

 しかも札幌農学校で一緒に勉強した間柄だ)である内村が、『Japan and The Japanese』1894年

 という日本と日本人という本を書いた。その後『代表的日本人』として日本語訳の出版に至る。


 西郷隆盛
 上杉鷹山
 二宮尊徳
 中江藤樹
 日蓮上人

  という順番でその内村から見た、人物像を描いている。
  人物の生きた時代はこの逆である。

 皆さんは、歴史を振り返って代表的日本人5人を挙げるとすれば誰になるでしょうか。

 また、その時の選んだ基準は何でしょうか。

 ここには明確な基準があったと思われる。

 それでないと、クリスチャンが日蓮上人を選ぶはずが無いと思われる。

 そこには、「J」という文字が大きく関係しているようだ。

 Japanであり、the Japaneseであり、それに「Jesus」なのである。

 日本に生まれ、日本人であり、日本人の心を持った、しかもイエス・キリストの教えを

 実践している(キリスト教信者という意味ではない)人間だったのである。

  人間はどうしても利己的になりがちであるが、徹底した「利他の精神」をもち、

 上に立つものは「ノブレス・オブリージュ」の精神がある人間像だったのである。

 その人間はすなわち「敬天愛人」の心を持っている。すなわちJesusそのものだったのである。

 このことからも、内村は、宗教そのものに埋没するのではなく、キリスト教という宗教を

 通じて、日本と日本人をしっかり見ようとした「思想家」だったと言えよう。

 この人物を選んだことからしても彼こそが代表的日本人ではないか、と思うこのごろだ。