遷都1300年平城宮

 和歌山に帰る用があって、その途中にある奈良で降りて、平城京跡に復元された、

 平城京の中心的建造物の715年に建てられたという第一次大極殿を観てきました。

 さすがに多くの人が押し寄せていました。

  日曜日ですから若いカップルもいましたが、それでもやはりお年寄りが多いですね。

 平日はお年寄りの方ばかりなのでしょうか。

  日本の1/4がその世代に近づきつつありますので、まざまざと高齢社会をみせつけられています。
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第一次大極殿です。下の写真にある朱雀門から真北800mの位置にあるという。当時としては超高層建築だったのではないでしょうか。この近くに法隆寺という世界文化遺産にも指定されているお寺がありますが、あれはこれより100年も前にあれだけの高層建築がなされていたというのは驚きです。それだけ中国の建築技術が進んでいたともいえます。それを日本が技術を輸入して、色々となぞはあるでしょうが、聖徳太子が建立をした。(現存のものは違うと思いますが。聖徳太子一家の鎮魂のため)その上、その建物の高さが当時中国でもその高さのものは無かったという。その精神は昔も今も変らず、"追いつけ追い越せ"だったのではないでしょうか。高さへのあごがれ、天へのあこがれを強くもっていたことを表す一端ではなかったかと思うのです。
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朱雀門
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遣唐使船だそうです。4隻で組んで行ったそうです。動力は風と人力です。当然産業革命以前ですから、それしか方法がないわけです。たどり着くのも大変だったでしょうね。700年程度あとのコロンブスでさえ、同様な方法でアメリカ大陸にたどり着いているわけです。アメリカ大陸に着いたころには殆ど目が見えなかったと言われるほど過酷な旅だったということでしょう。
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 1300年の悠久を偲ぶことができました。
 今という時代に生きていますが、1300年後というのはどうなっているのでしょうか。
 やはり発掘しないといけないくらい不明な点が多くなっているかもしれません。

  それは超紛争という考えられない戦争がそんなに遠くない時代に起こる可能性が高いと
  言われているからです。
  その時は人類は死滅までもいなかいかもしれませんが、今68億人の人類を抱えた地球ですが、
  殆どの人間は死ぬ戦争です。そう核戦争です。

  そうならないために我々は、歴史から何を学ぶ必要があるのでしょうか。
  「歴史から学ぶ」必要を我々は常に言われています。また一方で「歴史は繰り返す」とも
  言われています。

  我々人類は賢者か愚者か。

  色々と妄想をさせられる見学でした。