概して海外のスピーカーは個性があり、日本のは無個性だと言われています。このダイヤトーンを鳴らし始めても「そうだなぁ」と感じます。
鳴らしやすさというか鳴らしにくさというのは、どうなのだろうか。
一聴して鳴らしやすいのは、日本のスピーカーで、一聴して「いいなぁ」という感覚は海外のほう
だと一般的に感じるのです。
結果としては、どちらも鳴らしこむには大変なことで、どちらとも言い難いものです。
しかし、このような海外と日本製との差異は、鳴らし方のアプローチもかなり違ってきます。
無個性と言われる日本製を、自分好みの音に仕上げていく、それは個性化なんだということでしょうが、
とにかくあまり音創りされていないような気がしています。
スペックありき、という感覚なのです。
理性で聴く、という表現でしょうか。
この世界は面白いな、と感じるのです。
一般に西洋人は、何事も理性的に物事を考え、製品にしろ、制度にしろ普遍的にしようとする
試みがなされます。
それに比べ、日本人は、感性と言いましょうか、感覚的なところがあり、普遍化ではなく、
「特殊化」を試みるように感じます。
それがガラパゴス化と言われる所以でしょう。
しかしながら、日本のスピーカーはその「特殊化」ではなく、「普遍」のほうなのです。
それでは、その普遍が世界から受け入れられているかというと、そうではなく、海外の特殊化
が受け入れられているようです。
これは何なのか。
それは、このオーディオの世界は感性たる「特殊」の世界が普遍である、ということなんだと
思います。
スペックを追い求めるだけではなく、そこには文化という匂いが必要なんだということです。
それが日本の製品に感じることは少ない。
それがこのダイヤトーン2S-3003を使い始めて、よく分かりました。
それでは、このスピーカーがダメかというと、全然そういうことはなくて、世界でも
一級のものとして通用すると思います。
最近はとても気に入りつつあります。
しかしながら、内部配線を変えたり、ネットワークを交換したり、しないといけません。
これは海外も同じかもしれませんが、またその変化のプロセスが違うのです。
日本のは、素直に良くなっていくのですが、海外のはもともと特殊で個性的ですので、
交換することによって、その個性が消える可能性があります。
日本のは、無個性ですので、誤解を恐れずに言うと、良いものをつぎ込めばつぎ込むほど、
良くなっていくのです。それも素直に。
それはその素直に開発してきた、ユニットの良さが出るのだと思います。
上記のようなことを書いてきましたが、
それでは、どちらが良いのでしょうか。
それも一概には言えません。
しかし、日本の製品も特殊に挑んでもらいたいと思っています。
スペックという普遍に挑んだがために、日本のスピーカーが特殊化したという面白い
捉え方ですが、
やはり、日本には古来から非常に個性的な文化があり、
世界に通用するというか、認められる特殊があると思うのです。
私はその特殊をシステム全体として作り上げたいと思っています。
もちろん、普遍のスペックをも乗り越えた上で。