アウシュビッツとツェラン 「死のフーガ」

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 日本に帰ってきました。
 私自身、世界遺産には平均的な日本人よりは数倍訪れています。

  最近は、その訪れた喜びよりは、その背後にある「暗い影」のほうを強く感じるように
 なりました。
  訪れている理由もそこにあるのですが…。

  世界遺産そのものも、いわゆる欧米化していて、そこにある崇高な理念は感じるものの
 経済としての交換、搾取を感じることがここ数年の強い感覚が私の中に芽生えてきています。

   貨幣としての交換がある故、その崇高な理念も後世に残せるし、伝えることが出来る
 ことも理解できます。会社存続の考えと同じようなもの…。

   しかし、何か欧米のシステムの上に乗っかった、ある嫌な感覚が絶えず残る旅を
 続けているとも言えると思います。

今回は訪れる前に、このチェランの詩集を読んでから出発しました。


  チェランの「死のフーガ」

あけがたの黒いミルク、我らはそれを夕べに飲む
我らは飲む 昼に 朝に飲む 我らは夜に飲む
飲む そしてまた飲む
我らは宙に墓穴を掘る そこで寝るのは狭くない
一人の男が家に住み 蛇どもと戯れ 書く
暗くなれば 書く ドイツに宛てて お前の金色の髪のマルガレーテ
その男は書き 家の前に出る 星々は輝く 口笛吹いて男の犬どもを
呼びよせる
彼は口笛吹いてユダヤびとを呼びつけ地に墓穴を掘らす
彼は我らに命ずる協奏で今度はダンスだ

あけがたの黒いミルク、我らはお前を夕べに飲む
我らは飲む 正午に 朝に飲む 我らは夜に飲む
飲む そして飲む
一人の男が家に住み 蛇どもと戯れ 書く
暗くなれば 書く ドイツに宛てて お前の金色の髪のマルガレーテ
お前の灰色の髪のズラミート 我らは宙に墓穴を掘る そこで寝るのは狭くない

男は叫ぶ もっと深く掘れ 次から次へと 歌え 奏でろ
ベルトの鉄に手を伸ばし振り回す 彼の眼は青い
シャベルをもっと深く 次から次へと どんどんステップを踏め

あけがたの黒いミルク、我らはお前を夕べに飲む
我らは飲む 正午に 朝に飲む 我らは夜に飲む
飲む そして飲む
一人の男が家に住み お前の金髪のマルガリーテ
お前の灰色の髪のズラミート 蛇どもと戯れ

男は叫ぶ もっと甘美に死を奏でろ 死 それはドイツから来た名手
バイオリンをもっと気だるく撫でろ さらば君ら煙の如 天に立ち退く
さらば君ら雲の垣間にひとつの墓を抱かん そこで寝るのは狭くない

あけがたの黒いミルク、我らはお前を夕べに飲む
我らは飲む 正午に 朝に飲む 我らは夜に飲む
飲む そして飲む
死 それはドイツから来た名手 彼の眼は青い
彼は鉛の玉で君を撃つ 寸分の狂いもなく撃つ
一人の男が家に住み お前の金髪のマルガリーテ
彼は我らに犬どもをけしかけ我らに宙の墓穴をつかわす
彼は蛇どもと戯れ夢を見る 死 それはドイツから来た名手

お前の金色の髪のマルガレーテ
お前の灰色の髪のズラミート



  この恐ろしく心のひだに訴えかけてくる詩を感じに行ってまいりました。

  より深く私の心に入りこむものがありました。
  
  この詩はユダヤ人のチェランが書いたものです。
  ユダヤの民だから書ける部分は多いと思いますが、人間としての普遍のところで
  日本人にも充分にしみこむものでしたし、実際にその地に行って
  より感じることが出来ました。

   世界負産という言い方もされますが、これこそ世界遺産として後世に受け継ぎ、
  より人間の根本をしり、このことが惨事になる前に踏みとどまるアンカーのような
  存在になることを願うばかりです。

  ここ(アウシュビッツ)に見ていくと、かなりペーパーとして残っているものが多いということです。
  つまりシステマティックにことが運んでいたということです。
  有ってはならない、殺人のための「工場」だったということです。
  それはどういうことかというと、一人一人の加害者側の人間には罪の意識がペーパー処理をすること  によって罪の意識が薄れていって
  淡々と労働の一環として行われていった可能性が高いことです。

   分業と上長への文書による報告という、今の組織で行われいることが、同様にこのアウシュビッツ
  で行われていたというこです。
   しかも働いている人は、ドイツ軍隊ではなく、ドイツ人に限らず、
   親衛隊として各国から来ていたこと。

   
   書こうと思えば、いくらでも書けるのですが、…
   
  ユダヤ人だけではなく、ジプシーの方々の相当数の方々が送り込まれたようです。
   彼らは今でも組織だっていないため、この悪に対して社会に対してクローズアップさせる
  力を持ち合わせていないため、亡くなった方々の無念が世界に届いていないのが現状のように
  感じました。

   そのことをここで訴えておきたいと思います。
   是非このことを認識いただきたいと思います。

   国家に所属しないということは、こういうことなんだ、ということが
   改めて強く認識させられます。
   
   トルコ、イラクに渡る国を持たない(クルド国家を持たないということ)
   クルド人問題なんかは、我々が知らない悲哀の数々なんだとここに行って改めて
   感じさせられたものでした。

   ギリシャ哲学のように今でもプラトンアリストテレスの実在と現象という存在問題を
   繰り返し論争しています。
   もう2500年もしていると言ってよいと思います。
   これは思想論争であるので、民族問題に落ちないのでその後の歴史に大きな影響を
   及ぼし多数の血は流されてきましたが、根本のところに戻っても血は流れないのだと
   思います。

   一方のユダヤ人問題は一神教の宗教の根本にあるユダヤ教があるため、そのことが現在に
   おいても思想の対立だけに収まらず、人の争いにまでどうしても陥ってしまうことが
   悲劇なのだと思います。
   ユダヤ問題は宗教だけに留りませんが、はやり根本の発祥点にあることはとてつもなく
   大きいのだと。

    また色んなところで考え発信したいと考えています。