CDを聴きながら・・・

 ある社会学・哲学者の伝記的な本を今朝からページをめくり始めています。伝記といってもはやり思索的な香りがする奥深い本です。
 最近は以前と違い、「…ながら族」をして読んでいます。
 それはCDを聴きながら本を読んでいるのです。アナログを中心に聴くときには無かった光景です。その変化はアナログはLPの片面は20分余ですので、あっという間に「ポッ、ポッ」と音楽の終わりを告げる音が繰り返されるから面倒だということもあります。
 今朝は本との関わりもあり、ベートーヴェン第九の3楽章(カラヤン指揮、ベルリンフィル)を繰り返し(CDプレーヤーのリピート機能を使って)ながら読んでいました。
 人間の奥底にある何かを本にもその音楽にも感じながらコヒーレントな関わりで聴いている感覚です。

 この2カ月ほどの変化はCDプレーヤーのVer.8による我が家のアナログに肉薄する質感が出るようになったこと、それにパワーアンプの6GB8の圧倒的なクオリティの高さ(いまだにこの凄さに脳が驚いている状態)が融合したことです。
 どのCDを鳴らしても、音が出ている状態から、音と音の間が出るようになって、つまりS/N比が格段に上がったことも大きいのだと思いますが、音の底が見えるようなのです。
 今更ながらCDにこんなに情報量が入っていた(逆にこんな程度しか入っていない)ことが分かります。

 とても分かり易いのは以前CD-Rに好きな曲を20枚程度焼いてもらっていたのがあります。それのオリジナルのCDを買いました。以前も差は少しはあると感じいたのが、今ではあまりの差に驚いています。
音は同じですが、空気、残響の部分が飛んでしまっているのです。
 師匠なんかは、一秒で聴けないと言います。私はもう少し30秒ぐらいは我慢して聴きます。(笑)
 しかし驚くような差異です。
 オリジナルにはこんなに背景感が感じられるくらいの録音技術があったんだと感じるのです。
 以前はCDに対してかなり懐疑的で、殆ど聴く気にもならなかった時期が続きました。一般の人より20念は遅れていると認識しています。
それがこんなに真剣に、それに…ながら族をしながら聴ける音源となるとは驚きです。
 哲学書や歴史書を毎日のように読みますが、小説とは全く違った読み方をします。書いている背景的構造と西洋の根源にあるもの(存在)、東洋のそれとの対比をしながら読み進むという感覚です。それを
しないと何が書いてあるか、が全く理解出来ないからです。
 小説のようにイメージを膨らませて当事者になりきって読むというものとは異質なものだからです。
 小説も奥深いとはもちろん思っていますが…。
 
 このような感覚をCDを聴く時にも同じ感覚で聴けるようになったことが凄いことなのです。
 私の中では一大パラダム転換ぐらいのものです。
 すごく日々聴くのが楽しみなのです。
 
 一つだけ欠点があります。最初から師匠から念を押されていたことですが、電源トランスが唸るんです。トランスですので、大なり小なり唸っています。これは全ての市販のオーディオ機器でも唸っています。それが大きいのです。特注の電源トランスです。市販ではこの設計に耐えるものがないからです。
特注までしても、しかし唸っています。しかもピンクノイズ的なものも発します。
 しかし音は凄いとしか言いようのないものです。
FM811をここに持ってきても全く歯が立たないくらいのものです。
(???という方は多いと思います。)
 CDプレーヤーもそうです。こんな28年前のプレーヤーが世の中に出ている300万円を超えるものが
歯が立たないのです。それも全くです。
 これらのCDプレーヤーとパワーアンプだけで鳴らす質感は恐ろしいものがあります。
 だた一般的ではありません。
 電源環境やケーブル、インシュレーター、ラックを含めて恐ろしく(残念ながらお金をかけてしまいました。)時間と労力を使い調整した結果でもあるし、必要悪のプリアンプも使いません。ですから
ボリュームコントロールは出来ません。
 しかしこの音を聴いてしまうと、プリアンプは必要悪だということが分からざるを得ないのです。

 これからも質的追及はしていくでしょうが、とりあえずソフトを購入し聴きたいと思う日々です。