2015 インターナショナル・オーディオショウへ行ってきました。

9月27日(日) 昼ごろから夕方まで、いつもは駆け足で回っていますが、今年はゆっくりと5時間近くかけて聴いてきました。
日曜日に関わらず、来聴者の数がディズニーランド状態からは程遠くゆったりと席に座ってきくことが出来ました。
金・土曜日にかなりの人が駆け付けたのか、それともやはりオーディオ離れが加速しているのでしょうか。
どうも後者のほうのような気がしてなりません。
 やはりデジタル時代ですので、話題のアナログ装置はあったものの、殆どはデジタルデバイスによる視聴でした。
もちろん私も最近はCDプレーヤーで聴いていますので、
それを聴きに行ったのですが。
まああまり今の時代になって偉そうに言えることではなく、非常に時代遅れの観もあります。

総じてどこもお金をかけていますし、気合いを入れて音創りをしていますので、良い感じで鳴っていました。
ようはそこから何を感じにいくかです。
私は今回わりあいゆったりと時間をかけれたこともありますので、
パッと聴きとその後の状態との違いを気にして聴いてきました。
それはどういうことかというと、ジッターを感じるかどうかです。
デジタル臭さ、聴こえなくても音にまとわりつく嫌な感じのいがらっぽい何かを感じるかどうかでした。

やはり聴き続けていくとそれは感じ始めます。
しかし毎年そこは少しずつですが進化の跡が感じられました。

しかしその進化のレベルを感じるとなるとはやりデバイスに数百万円からもう一ケタ上のオーダーに
なります。
今回はもう一つの気づきはアナログが綺麗に鳴っているのですが、これも相当高価なものでした。
音がけっこうツルッとしていて、現場の汗を感じないのです。ノイズレベルは低い。空間も広大に聴こえるの
になぜでしょうか。
デジタルもアナログも同じような感じに聴こえてしまいました。

開発者、インターナショナルですので外国人によるトークは聞くようにしています。
評論家は聞かないようにしています。すみません。
またまた評論家の某先生がギターリストのマニタス・デ・プラタのことをかなり時間をかけて歴史を踏まえた話をしてましたので、聞いてしまいましたが、
マニタス・デ・プラタは本名ではなく、銀の小さな手ということを仰っていましたが、銀の解釈はスペインの歴史をあまり知らずに解釈(世の中の普遍とスペインの普遍は違うということです。)してしまっていましたので残念でした。
そんなことは人前では言ってはいけません。
私も自戒の念を持たないと、ということだと思います。

 どちらも最高峰と言われるデジタルデバイス機器で鳴らしていました。
 
 今後はカメラのように画素数を増やしたりして、そこにどれだけ濃密にデジタル情報を入れられるかでしょうか。
そういう意味でCDではあまりに情報量が限られてしまうということがネックになるのでしょう。
10年前はまだプロのカメラマンもフィルムを使っている人がいて、はやり越えられない壁を強く言っていたようですが、今はもう皆無に等しいようです。
謡曲一曲でCD一枚に入らないほどの情報量のソースが出てきていますので、それが本当にどれだけのもの
なのか。
しかしいずれ情報量的に圧倒的になれば、技術力をもってすればアナログは凌駕されることになると思います。
我が家ではまだまだアナログのほうが優位にありますが、
もうCDのルールを云々しているデジタル時代でないはずです。
その圧倒的な情報量が生かされる電源等のノイズ対策でしょうか。
これはいたちごっこで非常に大変でしょうが、超えてもらいたい壁ですね。
これからも音楽を聴くという基本コンセプトは変わらずに、デジタルというある意味じゃじゃ馬のモンスターを
飼いならせるかですね。
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 パイオニアのTADが今年は目につきました。
 耳についたというより、他のスピーカーを製造していないメーカーや輸入していない商社がTADのスピーカーを使っているのが印象に残りました。
写真は後日たくさんアップしたいと思います。