『老人と海』を生んだヘミングウェイの自宅

 ハバナの中心地から車で20分程度でしょうか、そのハバナを見下ろせる高台にあり、そこから車で10分もかからないところにコヒマルという港、漁村があります。

 そんな立地を探したんでしょうね。

 大好きな釣りとラム酒を飲みながら、あの名作『老人と海』が生まれたんだと、感慨にふけりました。

 自宅といっても博物館になるくらい広いものです。

 敷地は6ヘクタールもあるそうです。

 それはハバナにきてから常宿のホテルで書いた映画でも有名な『誰がために鐘は鳴る』があります。

 その印税等で建てたと言われるのがこの邸宅です。

  現在は国が管理して博物館になっています。

 1960年にアメリカに一時戻った時に自ら命を断ったので、普段の生活のままの状態が保存されている
 と聞きました。

  奥さんのものが残されていませんので、それはどうかとは思いますが、
 
 動物好きでケニアにもよく出かけたというのが写真からもわかっていただけると思います。

 現在でいう動物愛護の観点からすると如何かとなりますが、部屋にこのように動物のはく製を
 飾って一緒にいたかったのだと思います。

  今年はキューバケニアと旅をしましたので、ヘミングウェイの軌跡が少しわかったような気がします。

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自宅近くのコヒマルという漁港にある胸像
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愛艇ピラール号、このコヒマルに停泊させていた。今は自宅の博物館に移設しています。
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ラ・テラサというバー&レストランです。釣り帰りにいつも立ち寄ったと言われています。ここの料理は美味しかったです。この旅行中で一番だったかもしれません。
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執筆した机です。このようなデスクは他にもありますが、ここで書いたと言われています。
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私としてはこのアナログレコードが気になりました。アイーダなんか聴いていたんだと…。
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フィデル・カストロの革命政権ができてまもないころでしょうか。
 イデオロギーバランス・オブ・パワーの賜物だなぁ、とふと思ったりしました。
 
 ヘミングウェイの書いた『老人と海』のようにほのぼの感と人と人の絆、それに粘り強さがこのキューバにはある、と感じた旅でした。
 この小説そのものの旅だったような気がします。

 ただ、制度は疲労するということです。どんな高邁な制度も月日が経てば変える必要があるということです。
 それはイデオロギーの問題云々ではなく、よき伝統を守るために必要なことなのかもしれません。