縄文を語らせると煩いというか、凄い一人だと思います。
あと二人は、梅原猛さんと岡本太郎さんでしょうか。
最近では、環境考古学者の安田喜憲さんも気合が入っているでしょうね。
先週も一緒に酒を飲みましたが、一神教への敵対と縄文への思い入れは凄いですね。
ところで、宗左近さんの『日本美 縄文の系譜』の中に、
詩のことについて、他者を引用したり、コメントを述べています。
1960年に谷川雁さんが語っているようですが、
「詩は死んだ」と
メキシコのノーベル文学賞受賞者オクタヴィオ・パスが受賞が決まったときに
「いやあ、驚いた。近ごろ、詩は人気のある芸術とは言えないもの」と
続けて
「だが、詩は人間の生活に欠かせぬものです。ひとつの国の記憶といっていい。」と
それで、詩人の宗左近さんは、
見えないもの、それを見たい。
聞こえないもの、それを聞きたい。
触れないもの、それを触りたい。
嗅げないもの、それを嗅ぎたい。
味わえないもの、それを味わいたい。
感じられないもの、それを感じたい。
そして
無いもの、それをあわしめたい。
この愛であり、夢である願望をあらわせるのが詩だと言っているのです。
この方の縄文文化に対する見識は凄いものがあります。
本を読んで分かります。
しかし、まだ詩を読んでいません。
宮沢賢治しかりです。
トライしてみたいと思い始めています。