うつとうつつのあいだ

探求すると言うこと。
私は仕事のことと音を常々並行させて考えているように感じます。
少々変な感覚ですが、同一性を求めることは、その深掘りという探求は、異質性を求めているようにも感じます。

新古今和歌集藤原定家の歌に、

見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮

があります。
あまりにも有名な歌ですので、解説は不要でしょう。
何も無い、と言っているのに、脳裏に強烈な鮮やかな色の残像感、残響感覚のようなものを残させる凄さがあります。

音の探求も同じで、大音量ではなく、派手さも無く普通のアッサリした音なのに、聴いている時に、脳裏に場をイメージさせるものをつくりたい、という探求の方法が私のやり方です。
音は次々に登場はしますが、無常で消えていきます。
つまり「うつ」と「うつつ」のあいだの「うつろい」でしかないのです。
松岡正剛さんふうなタッチになりましたが、ほんのこのあいだ、久方ぶりに二人で話こみました。
その影響もあり、その感覚をここに書き残しておきたいと。